2005年4月、明日館にて
Program
ステファンおじさんの話
POULANC
Trois Nobellete 1
Les Soirées de Nazelles 3
15 Improvisations 1 & 3
Trois Mouvements, etc.
Piano: Ayumi Yokoyama
アントンチョ
BRAHMS
Cello Sonata No.1 Op.38
Cello: Seiji Yokota
Piano: Ayumi Yokoyama
月の光
DEBUSSY
Moon Light
Piano: Ayumi Yokoyama
プロヴディフの五つの山
FRANCK
Violin Sonata
Violin: Yuuki Hashimori
Piano: Ayumi Yokoyama
Reader: Michiyo Iihara
Text: Kimiko Watanabe
今日皆さんに聞いていただくお話は、ドイツに住むブルガリア人ステファン・デシコフチェフ氏から聞いたお話です。社会主義国で二十数年間を過ごした彼の話は、私にとってはまったく未知のものであると同時に、今まで自分がいかに何も知らなかったかを痛感するきっかけとなったものでした。
とにかくドイツ語で早口にまくし立てるステファンの話は、私にはとてつもなく難しく、正確に把握できたのかどうか定かではないのですが、ヴァイオリニストである彼の話は時にとても音楽的に感じられ、今回このような企画をしてみました。
せっかくですので・・・コンサートとは関係ないのですが彼の話からいくつか・・・。
社会主義時代の笑えないジョーク集
お話:ステファン・デシコフチェフ
聞き書き:渡辺喜美子
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学校で先生が生徒に尋ねました。
「我々 社会主義の未来は、いったいどんなものになるでしょう。」
ある生徒が答えました。
「見渡す限りの明るい草原に、我々の輝かしい未来が見えます。」
また、ある生徒はこう答えました。
「それは、山登りのようなものだと思います。最初は少しの困難が伴うかもしれません。しかし、その山を登り終えると、陽は照り輝き、見渡す限りの素晴らしい景色が望めます。それが、私たちの社会だと思います。」
先生は、みんなの素晴らしい答えに、とても満足です。
次の子が言いました。
「社会主義は、大きな大きな船のようなものです。私達は果てしなく続く大海原を、その船に乗ってどこまでも、こぎ出ていきます。」
先生は、一安心です。何しろこの子は要注意。いつもちょっと困ったことを言うのです。
でも今日は大丈夫、なかなかの答えのようです。
その子は続けます。
「ところが、やがてみんな船酔いになってしまい、気持ち悪くて気持ち悪くて、なにもかも吐いてしまいました。さあ、大変。船の中のありさまときたら・・・。でも、誰も船を下りることはできないのでした。」
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ブルガリア人の男が死にました。
地獄に行くべきか天国に行くべきか、どちらかしらと迷ったのですが、彼はとりあえず天国に行ってみました。
すると神様は、彼の行いの書いてある帳面を見て「君の行き先は地獄の方だな」と言うではありませんか。
神様にそういわれては仕方ありません。男は地獄に行くことにしました。
その時神様が男に言いました。
「地獄には、ソシアリズムの地獄とキャピタリズムの地獄の二通りあるけど、君はどっちに行くつもりだい?。」
男は考えました。自分は生まれてこの方、ずっとソシアリズムの社会で過ごしてきたし、せっかくだから一度キャピタリズムというのを試してみるのも悪くないかも・・・と。
「では、キャピタリズムの地獄にします。」男がそう言うと、神様は男に言いました。
「馬鹿だなあ、いいかい。キャピタリズムの地獄は、何もかも完璧。お湯の温度はきっちり百℃に煮え立ってるし、アスファルトだって高熱できちんとドロドロに融けてるよ。ところがソシアリズムの地獄の方はどうだい。お湯は出たり出なかったり、火も出たり出なかったり、その上地獄の番人達ときたら、朝から晩まで対策を話し合ってばかりでなんにもしやしないからね。」
それを聞いた男はやっぱりソシアリズムの地獄に行くことにしたそうです。
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パプアニューギニアに難破船の乗組員が流れ着きました。
彼らを捕まえた酋長に、アメリカ人の乗組員が言いました。
「私はたくさんドルを持っています。全部差し上げますから助けてください。」
「ドル?一体それはなんだ。そんなものは要らない。火あぶりだ」
ドイツ人が言いました。
「私はベンツを持っています。それを差し上げますから助けてください。」
「ベンツ?そんなものは要らない。火あぶりだ。」
フランス人が言いました。
「私はおいしい食べ物をいっぱい持っています。それを差し上げますから助けてください。」
「おいしい食べ物?今からお前を食べるのだ。そんなものは要らない。火あぶりだ」
最後に残ったブルガリア人が言いました。
「私はブルガリアから来たので何も持っていません。だから何も、差し上げるものはありません。でも、どうか助けてください。」
酋長は言いました。
「なんだって、ブルガリアから来たって?あーなんて懐かしいんだ。俺は昔ブルガリアの大学で学んだ事がある。
よし、お前だけは助けてやろう。」
(1960年代の初めからジフコフ体制の下、ブルガリアと第三世界との結びつきは深められ、多くのアフリカ人留学生がブルガリアで大学教育を受けていたようです)
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ある日、先生が生徒に質問しました。
「では、今までの指導者の中で、ひどい指導者だったと思われる人の名前を言いなさい。」
ある生徒が答えました。
「毛沢東です。」
先生は言いました。
「はい、その通りです。」
ある生徒が答えました。
「ヒットラーです。」
先生は言いました。
「はい、そうです。」
ある生徒が答えました。
「それは、レーニンです。」
先生は言いました。
「はい、大変よろしい。」
次の生徒が答えました。
「先生、それはスターリンだと思います。」
先生はちょっと考えて言いました。
「まあ、いいでしょう。」
その次の生徒が答えました。
「先生、それはフルシチョフです。」
驚いた先生は言いました。
「みなさん、いいですね。決して教科書の先のペ―ジを読んではいけません。」
*ちなみにこれはもちろんフルシチョフ時代のお話です。
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